979854 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

Selfishly

Selfishly

paradigm shift!1~6


『paradigm shift!』



 P1 ・・・ 金のアンテナ


 グッと押し付けられる身体に、思わず眉を顰めそうになる。
―― これが綺麗な女性と云うなら・・・。
はぁと内心で嘆息を落として、揺れに乗じてさりげなく身体を引く。
引いたところでほんの僅かな隙間しか出来はしないが、それでもいつまでも
むさ苦しい相手と密着しているよりは、多少・・・ほんの多少は気分的にマシだ。

―― こんな状態で後半年も通うのか。
そうを思えば、スタートして間もない日々でギブアップしそうな気持ちになる。

事務所の改装の為、仮住まいを余儀なくされたロイは、持ち物件の中から1番
職場に近い部屋に引越し、通い始めたばかりだ。

初日にはホームに並ぶ人よりも、着いた車内の鮨詰め状態に蒼然となり
数本列車を見送って遅刻した挙句、チーフにお小言を喰らってしまい。
その日からは根性を振り絞って駅員がこれでもかと押し込む中へと踏み込んではいるが・・・。
そろそろ我慢の限界も近そうだった。

どこか近くに駐車場を借りてもらうかと、真剣に検討中だった。
学生の頃もこの沿線を使ってはいたが、こんなに混んでいた覚えが無い。
昔ながらの住宅街とロイの母校があるだけの落ち着いた品のある地域だったのだが。
ここ十年ほどで都市部の過密化を防ぐためにと次々とベッドタウンが作られ、この沿線の
終着駅にも巨大な集合住宅都市が出来たためだ。
雑多な人々が集う為、乗り込む人も増えた分乗客層も様変わりしてしまったのだろう。
仕方が無いと思う反面、昔の鄙びた頃を懐古してしまうのは――― 歳の所為だろうか。

そう至った思考を振り落とそうと緩く頭を振る。
確かに、今年には三十路と呼ばれる年齢人に仲間入りするとは云え、まだ二十台。
歳と云うには猶予は残されている。そう自分を鼓舞しながら俯きそうになっていた視線を上げる。

・・・と。

思わずふいに視界の先に飛び込んだモノに目線が留まる。

ピョコン――― と擬音が付きそうな勢いで飛び出しているのは、髪の毛だろうか?
じっと眺めていると、ソレは前に立ちふさがる人の肩先でゆらゆらして、その後見えなくなった。
ロイが不思議に思いつつ、じっとそちらの方向を窺っていると。
暫くして、グッグッグッと埋もれる土を掻き分けて出てくる新芽のように、徐々に姿を現した。
ある程度姿を現すと留まる事を考えると、その高さが限界なのだろう。
そうして暫くゆらゆらと揺れているかと思うと、またへにょりを沈んでいく。

「ぷっ・・・」
その光景に思わず噴出したロイに、周囲の人垣が胡乱な視線を投げつけてくる。
―― とととっ。
慌てて表情を改め寡黙な乗客の一人を装う。普段から別段表情を現すことも無いロイにしてみれば
珍しいケアレスミスだ。
音楽を聴いてるわけでもなく。読み物をしているわけでもないのに、いきなり噴出し笑などすれば
周辺の人間に妙な目で見られても仕方が無い。
何気なく車内広告に目を泳がせながらその場を誤魔化していれば、他人に興味が薄い乗合人達は
さっさと自分の思考やその場の慰みに戻っていく。

そして、そぉ・・・っと上げていた目線を戻せば、また先ほどの場所へと視線が吸い寄せられる。

(おっ)
今度は上手く内心だけで反応を落とす。
ピコピコと動いているアンテナは、今度はかなり頑張っているのか先ほどより高さが上がっている。
が、かなり無理な体勢をしているのだろう、振幅の幅も先ほどより大きくなっているし。

―― 危ないな。・・・そろそろカーブに差し掛かると云うのに。

次の駅がロイの下車駅だが、その前に結構急なカーブがくる。
毎日乗りなれている人々は、多分そろそろ吊革を持つ手に力を込めたり、踏ん張る足に力を入れているはずだ。
久しぶりに通勤列車を使ったロイも、初日はよろけて横の相手に盛大に嫌な顔をされてしまった。
一生懸命に揺れているアンテナを見守っていると、列車はカーブに差し掛かり中の人々もぐいっと片側へ
より重なっていく。
一瞬の緊張の後、車内は下車の人々の浮き足立った空気で気色ばんでいく。

扉が開いた瞬間、清涼な空気が吹き付けてくるのもそこそこに、我先にと出口を目指して
最後の押し合いが始まる。

人の波に押されるようにして、ロイの身体もホームへと流されていく。

最後にチラリと流した視線の先に目当てのものが見えず、小さな落胆を胸に
歩き出した。



 *****

「君ねぇ・・・」
迷惑そうな表情を浮かべる壮年の男性に必死に頭を下げる。
「す、すみません! すみませんでした!」
最大の下車駅に着いたお陰で、車内はだいぶんスペースに余裕が出来た。
カーブを失念して踏ん張っていた所為で、背後の新聞を読んでいた男性の腕に
ダイブする形になってしまったエドワードは、倒れないですんだ代償に大恥を掻くことになった。
頭を下げているエドワードに、「気をつけたまえ」の小言を吐き捨て男性は
エドワードとの距離を十分に取って、皺くちゃになってしまった新聞を読み難そうに目を
通し始める。

―― っとに・・・最悪~。

漸く座席の端の手すりを持つと、がっくりと肩を落とした。
吊革は・・・エドワードの身長では手が届かない。少しだけ・・・。

家から最も近いことから今の高校を選んだのだが、近い分ラッシュに当たるハメになるのが痛い。
なら早く出れば良いのだろうが、それが出来ればこんな苦労はしていないだろう。
遅寝遅起きは、エドワードの年代の子供なら普通の生活習慣だ。
「ふぁ~」と大き目の欠伸をしていれば、同じ車両に乗り込んでいたのだろう同級生が声を掛けてくる。

「おはよう! って、お前・・・なんちゅう欠伸をしてんだよ」
「ん? おう、おはよ」
涙目で振り返った先には、同級生のラッセルが呆れたような表情を見せていた。
「仕方ないだろ。昨日は寝たのが遅くてさ」
コシコシと目元を擦ってそう返す。
ラッセルとは今の学校に通うようになってから知り合った友人だ。
エドワードの中学から同校に入った者は居なかったから、自然と友人は減ってしまった。
が、それも今は特には気にしていない。
無理して作る気もない、と云うのがエドワードの考えだからだ。

「昨日は、じゃなくて昨日も。だろ、お前の場合は」
からかうように言い直してくるラッセルに、エドワードは肩を竦めて見せるだけに留める。
「で、昨日は何、読んでたんだ」
聞いてくるラッセルに返しながら、漸く付いた下車駅のホームへと降り立っていく。





*****

「な~んか良いことでもあったんすか?」

出来上がってきた図面に目を通していると、部下の一人がそんな言葉を掛けてくる。

「―― 毎日、通勤に辟易されててそんなわけがあるか」
 
住まい所か事務所まで仮では、使い勝手も大層悪い。
この御時世に業績好調、社員増員は有りがたい事だが、その為に社屋を建替えしなくてはならなくなったのは
閉口ものだ。
がチーフのホークアイにしてみれば、序でで丁度良かったらしい。
老朽化の激しかったビルでは電機容量も足りず、増設を繰り返すのもきりが無い。
この先の展開を視野に入れれば、環境整備に力を入れておいても損はないからだ。

ロイだってそんな事は解ってはいる。不満はただの愚痴でしかない。


「そうっすか? その割りに・・・機嫌良さそうですけど」

ロイの応えが腑に落ちなかったのか、ハボックは顎に手をやりながら首を傾げている。

その部下の頭を見ていると、今朝の懸命なアンテナを彷彿させ、思わず口元に笑みが浮かぶ。


「良いことは別段ないが――― 面白いものは見たな」


そのロイの言葉になのか、自分では見えない表情からか、目の前の部下がおやっと
目を瞠るとロイに続きを強請ってくる。

それを軽くいなしながら今日の仕事をこなして行く。手を止めれば後で辛い目に合うのは
自分なのだ。
もしその場合には、目の前のこいつも差し出そうと思いつつ軽い言葉の応酬を続けたのだった。










  
『paradigm shift!』




 P2・・・観察日記?


どうやら乗車時間は同じ時間帯のようだった。
今日も少し先に見え隠れするアンテナを目にして、暫しの推論の時間に浸る。
ここ暫くですっかりとアンテナの持ち主の状況を把握できるようになっている。

初日に見た時の様に見え隠れが多い日は元気がある日。
先っぽだけがゆらゆらとしている時は、どうやら立ったまま居眠りをしているらしい。
時たまじっと微動だにせず、微かに動くのみの時には何か読み物に熱中でもしているのだろうか。
そんな事まで思いつくようになっている自分が可笑しくて仕方が無い。
持ち主にはお目にかかったこともないと云うのに、その一端の与える情報から
様様なことを思い浮かべて楽しんでいる。
――― こんな自分の密かな楽しみは、ちょっと部下には言えないだろう。

(じゃあ、また明日)
下車の人々に押されながら向けた視線の先には、まるでロイの心の声が届いたかのように
頷く様な動きを見せるアンテナが。
それに気を良くしてロイは今日も機嫌よく仮の事務所へと足を向けた。


 *****

「いよぉ~、ロイ! 生きてるかぁ~」
能天気な馬鹿デカイ声で叫びながら入ってきたのは、学生時代からの悪友だ。
「――― ヒューズ。何度も云うが、新しい社員も増えてきたんだ。
 もう少し周囲に気を配って―」
「なぁなぁ、この前のコンクールの結果が出たぞぉ~」
全くロイの忠告を聞こうともしないヒューズに怒鳴りそうになるが、
それよりも気になった言葉に一旦自制を働かせ問い質す。
「出たのか・・・。――― で、どうだったんだ?」
こいつを喜ばせるのは業腹だと、淡々と聞き返すロイにヒューズは眼鏡を
外して拭く真似をする。
「おい、ヒューズ! 貴様、それが話したくてここに来たんだろうが」
「どうしようかなぁ~。言っちゃおうかなぁ~。やぁーぱり黙っておこうかなぁ~」
からかうような悪友の態度をあっさり見限って、ロイは横で控えているホークアイに
話しかけ始める。
「チーフ、協会に連絡してみてくれ。
 前回のヤングフェスの結果の問い合わせだ。公表がまだだと言ったら、審査を担当した
 私の名前を出せばいい」
「はい」
即時実行を旨にしているのか、受話器に手を伸ばすホークアイを見て
ヒューズの方が大慌てをする。
「おいおいおいっ! 審査委員会の俺がここに居んのに、わざわざかける必要は
 ないだろうがっ」
そう訴えてくるヒューズに、ロイは冷たい視線を投げかけ、ホークアイは伸ばした手を
引っ込め彼の動向を見守る。
「「で?」」
重なる催促の言葉に、ヒューズは詰まらなさそうな表情で不満を訴えた。
「ちぇ。可愛くねぇ、お前可愛くねぇよ! こんな時、俺のマイスイ~~~トエンジェルエリシア 
 ちゅわんなら、パパお願いってそりゃもう語尾にハートが付いてきそうなほど・・」

「チーフ、やはり電話してくれ」
「そうですね。その方が早そうです」

見事なコンビネーションの二人に、ヒューズは盛大にがっくりした様子を
アピールしながら、ほれと結果表を差し出す。

「――― 審査員特別賞、か」
予想通りの結果にやや落胆が混じるのは仕方が無い。
自分の目で見た作品では、本来ならもっと高い――優秀賞も狙える作品だったと判断したのに。
「しゃーねぇだろ。賞がもらえただけでも俺の努力を認めてもらいたいぜ。
 なんせ現役の高校生で、実務経験皆無の餓鬼が受賞したんだぜ」
ヒューズの言い分は尤もだが、納得しきれないものもある。
あの作品には年齢など軽く凌駕する才能が示されていた。
実務経験が無いからなどと云う固定概念が、この落ちぶれている現在の建築業界を
現しているのだと何故気づかないのか。
優秀な者たちは挙って国外へと流出し活躍を認めてくれる場へと流れ。
優秀な卵たちは、より良い教育を受けようと留学して―― 結局、戻っては来なくなる事が
多いというのに。
国の記念すべきモニュメントを国外の建築家に依頼する情けなさを憂慮しない。
そして、戦後以来の封建的な体勢を恥ともおかしいとも思わない。

遠からずこの国の建築業界は腐敗し、海外資本に食われ尽くすはめに陥りそうだと云うのに。

難しい表情で審査結果を睨んでいるロイの肩を、ヒューズが励ますように軽く叩く。
「焦んなよ。まずは地道に足固めだ」
その言葉にロイも無言で頷いて返す。

「しかし、――― E・E、か。どんなモンスターなのか、お目にかかりたいもんだぜ」
「ああ・・・」


近頃、建築業界の1部を騒がせているのが、E・Eとなる人物の作品だ。
主に建築デザインに所属する学生達を対象としたジュニアコンクールや、
建築会が支援している小さな作品コンクールは勿論。
今回のように専門勤務をしている者の登竜門のヤングコンクールに応募しては
軒並み賞を浚っている人物がいる。
それが齢15だか16の現役高校生と云うから、内情を把握している者達にとっては
注目の的となっていて当然だ。
ロイも噂では聞いていたが、実物を見たことも会った事も無いから興味は持っていた。
今回は偶々引き受けたコンクールに、その本人の図面を目の当たりにして
――― 言葉を失った。

『現代に必要な空間』のテーマに彼が出してきた図面は、ホームだった。
大掛かりな建築物や施設の作品の中で、彼の作品は異彩を放っており皆を驚かせた。
が、本当に驚かせたのは作品が的が外れたものだったからではない。
逆に、――― 完璧な理想の空間がそこに現されていたからだ。

どの建造物より多機能で。どんな施設よりも受容性が高い役割を果たすその作品は、
現代人が失いつつある空間を見せ付けてくれている。

しかも、今ではパソコンのソフトで簡単に計算し図面が引かれる中
それは昔ながらの青焼きの手書き図面だったのだ。
その一分のミスもない図面に、それに至る計算式も荒削りな点は多々あるが、
十分に実用性に耐えうる出来栄えなのだ。

本人が未成年で就学中ということで、経歴や詳細は公表されてはいない。
されればどんな企業争奪戦が繰り返されるか解らないからだろう。
ロイとて、部下になどと高い望みは持たないが、出来れば1度くらいはお目にかかって
言葉を交わしてみたいとは思うのだ。
彼の情報を知っているのは、元協会長のキング・ブラッドレイだけだと言われている。
長きに渡って協会長に君臨している彼に、面と向かって尋ねれる者もいないだろう。
だから、E・Eの正体は以前判らないままなのだ。


*****

「クゥワァァァ~」
大きな欠伸をしながらエドワードが突っ伏していた机から身体を起こす。
「何だよ、漸くお目覚めかぁ」
周囲を取り巻くかのように座っている級友達が、からかうような声で突っ込んでくる。
「エドは本当に良く寝るよなぁ。
 家でちゃんと寝てるのか?」
そう声を掛けてきたのは、トレッドヘアーのエンヴィーだ。
この学校は校風は自由モットーで、勉学さえ怠らず自分で責任が取れるなら
大概のことは自由が利く。
代わりに勉学を疎かにしたり、自己で責任が取れない行動を起こすと
容赦ない処罰が下されるのだ。
「まぁ、ボチボチな」
眠そうに目をしょぼつかせながら、差し出されたサンドイッチを礼と共に受け取ると
急いで口に頬張っていく。
「おいおい、そんなに焦って食べるとまたつっかえるぞ」
ラッセルが慌てて飲み物を差し出してくる。
「ふご。ふぁんふぅ」
受け取った珈琲を持ち上げながら、エドワードは返事にならないような返事を返す。
「また、遅くまで読書をしていたんだろう。今は何を読んでいるんだ」
そう話しかけてきた相手は、これが高校生!?な強面の男で、渾名はスカーと皆が読んでいる。
何やら学者の両親に連れ回されて海外放浪の旅に出ていたとかで、帰国子女免除がないこの国では
現役の高校生から始めているそうだ。トレードマークの額の疵は、巣から落ちた雛を戻そうと
登った木から落ちたとか。見掛けより遥かに心優しく面倒見が良い兄貴だ。
「んー。・・・今はガーデニング、だな」
「ガーデニングぅ~? おいおちびさん、何だいよいよ専業主婦になる決心でも付いたのかぁ」
「ちび言うな! ・・・ったく、そんなわけあるか。
 今回は偶々庭の広い家を持ったら、どんなのが良いかなと思っててさ。
 考えて調べてたら、意外に面白いのな」
購入して来てもらった代金を支払って、エドワードは残り少なくなった珈琲を
名残惜しそうに口に運んでいる。
「向学心があることは良いことだが、何事も程ほどにな」
「そうそう。それでなくても、標準よりちっさめなんだからさぁ」
「標準は!!―――クリアー・・・間近、だ」
やや語尾が弱くなるのを実感しつつも、エドワードは友人の親切な忠告だけは
ありがたく受け取っておく。

「それよりも、今度の土曜は登校日に当たってるのは覚えてるだろうな」
ラッセルの言葉に、エドワードは暫し考え眉を寄せる。
「・・・そういや、そんな事を担当が言ってたっけ」
「課外研修の説明会らしいぜ」
「面倒・・・。何でわざわざ説明会を開くんだよ」
その日は本で学んだガーデニングを実践してみようと思っていたのに。
「面倒は面倒だけど、丁度いいじゃんか。折角午前中で終わるんだ、
 全員でカラオケに乗り込もうぜ」
嬉しそうなエンヴィーの言葉に、ラッセルは大きく頷き、エドワードは大きく顔を顰める。
「俺、カラオケって好きになれないんだよなぁ・・・」
特に持ち歌もなければ、知ってる歌も少ないエドワードにとってはカラオケが拷問に近い。
何が嬉しくて、騒音に近い皆の絶叫を聞かされなければいけないのか。
「お前なぁ。ちょっとは社交性を発揮しろよ」
エンヴィーの抗議の言葉に、エドワードは渋々先ほどから沈黙を守っている頼みの綱び視線を向ける。
「――― 俺は構わないが・・・。アニソンでも良いか?」
スカーのその言葉には全員が言葉を無くしたのだった。




*****

ヒューズが帰っていくと、漸く仕事場に静けさが戻った。
遅れてしまった分を取り戻す為に、画面を睨みつけて操作しているロイに
戻ってきたハボックが陽気に話しかけてくる。
「マネージャー戻りました」
「ああ」
報告に声を掛けてきたハボックに、ロイは画面から目を離すことなく返事だけ返す。
「で、この前相談した親睦会っすけど。今度の半休の土曜に決行ってことで」
「―――」
「場所とかの詳細は決まったらお知らせしますけど、特に希望とかないですよね」
「――― ああ」
手間隙がかかる割には然程外観には関係ない土台だが、ここで気を抜けば
全てがパァになってしまうから集中は欠かせない。
「んじゃ、決まっても文句無しって事で。
 で、費用は全額マネージャー支払いでお願いしますよ」
「――――― 判った」

条件反射のまま返答をしてるせいか、ハボックが何を言っているのかは
ロイの頭には全く入ってはいなかった。
この状態のロイに話しかけてくる時には重要な用件はないから、
適当に流していても問題はないだろう。

画面の向こうで何やら歓声が上がっているような気がするが、特にロイの関心は引かない。
引いていたのは。

――― 土曜か・・・。アンテナの観測休刊日だな。

この数週間で土曜は見受けられないことが判っている。
日曜はロイも通勤はしていなかったので判らないが、多分同様だろう。
その単語だけに反応していた自分を、漸く一段落付いて画面から顔を離したロイが
憮然とした表情で後悔するのは、その後すぐのことだった。







『paradigm shift!』




 P3・・・アノコドコノコ


 (はぁ~かったりぃ・・・)
エドワードはホームに入り込んできた列車に、緩慢な動きで足を進めて乗り込んだ。
今日は土曜。本当なら休日だと思うと、さらに登校する気が萎えてくる。
エドワードの通う刀峯高校は制服着用の義務はない。
式典等の時には皆が着用することになっているだけだ。
エドワードが日頃制服を着て通っているのは、ただたんに毎日服を選ぶのが面倒。
それ一点が理由だ。

が、今日は午前中で終わればその後、友達とカラオケに行く事が決定してしまったので、
着替えに変えるのも面倒くさいと話し合って、4人とも私服で来ることにしている。
覇気の無いまま電車にぼんやりと揺られていると、慢性の睡眠不足の為か
瞼が閉じてしまいそうだった。
僅かばかりの慰めになるのは、土曜の為車内が比較的空いている事だけだが、
空いている分が本日の休みを満喫している人の数だと思えば、何だか面白くない。
開く予定のないのを良いことに、扉に頭を摺り寄せるようにして立つ気力の無い
身体を助けてやる。

そのままの姿勢で目を瞑って休んでいると、隣の駅に着いたのだろう。
人の動く気配が伝わってくる。
エドワードの直ぐ傍で誰かが立ち上がり、代わりの人が座る気配にも
散漫になっている意識の端を掠めていく程度だ。

カチャリ 

その微かな音を耳が拾うと、閉じていた片目を薄く開けてその音の発生源にちらりと
視線を流す。

その瞬間、突如として意識がクリアーになり、凭れていただらしない姿勢まで正して
その横で開かれたモノに食い入るような視線を向ける。

――― う、嘘だろ・・・。これマジ本物かよ。

エドワードの視線の先には、1台のノートパソコンが開かれている。
シャープな飾り気の無い外見にも、品格が漂っているそれは玄人垂涎の的の製品だ。
目を皿のようにして観察してみれば、間違いなくキング社のロゴが刻まれているし、
更にエドワードを惹きつけているのが、搭載されているプログラムを表示している
マークだ。フラメル社の最高水準を表すSを冠しているこの印は、そん所そこらで
見られるものではない。
エドワードは陶酔の目で、滅多に拝見できないお宝を検分するのに夢中になる。

エドワードがこの手の物を見たのは2度目だ。
1度目は父親の研究室に忘れ物を届けに行った時、その中の1台(父親専用だったらしい)を
見たのだが、それは当然管理の行き届いた室内用のデスクタイプだった。
近頃、軽量化と衝撃緩和を具えた合金をフレームにしてノートも開発されたとは
耳にしていたが、完全受注製の上、値段も法外な金額が付いたと言っていたから
そこら辺に簡単にある物ではない。
間違っても公共の乗り合い電車の中でお目にかかるなんて事が有り得るとは・・・。
エドワードは感激と興奮の余り、思わず目元を潤ませてしまいそうになりながら、
熱い視線を注ぎ続けていたのだった。



*****

――― 息をするのも忘れてしまうほど魅入るものが、この世にはある。―――

 映画のセリフのようなシーンが、実際自分に起こるなど・・・思ってもいなかった。




今日は出掛けにホークアイチーフから電話があった。
嫌な予感は的中で、届いたデーターを送信したので通勤途中に確認して下さいと言われ、
げんなりとした気分で、会社から持たされたノートを手に家を出る。
ロイの仕事は携帯で終わらせれるような内容ではないので、パソコンは必須だが。
余り高性能だと家まで遠慮なく送られてくるのが玉に瑕だ。
しかも今回渡された機種は、性能がイマイチだったからと云ういいわけを
させないようにとの牽制も含まれているか、超が付くほどの物で
おかげで家でも息抜きの最中でも、遠慮なく仕事が送られてくる始末だ。

こんな高い物は経費の無駄遣いだと断われば、貴方がそれで2つ3つ仕事を片付けて下されば
十分元が取れますと返され、受け取らないわけにいかなくなったという曰く付きだ。

土曜は比較的空いているので、開くスペース位は確保できるだろうと思っていたら
かなり運が良いことに、座席が空いていた。横に立つ華奢な少女は座る気がないのか、
扉に凭れたままだったから、ロイはさっさと腰を落ち着けパソコンの電源を立ち上げる。
稼動までの時間が数瞬で終わるのも、性能のよさを現している。
その待ち時間で最近習慣になっている、車内を見回す仕草をしてみても
やはり土曜は休みなのか、いつもの見慣れたアンテナはどこにも見えなかった。
判っていた事ではあったが、小さな落胆を溜息に変えて吐き出すと、
チーフが送ってきた資料に目を通し始める。


集中し始めれば、多少の事では気が途切れることも無いが、
今日はさすがに車内と云うこともあって、いつもほどではない。
目まぐるしく変わる画面をチェックしていく内に、自分に向けられている視線を感じる程度には
周囲にも気を向けていた。

自惚れが過ぎるほどではないが、見られることには慣れている。
均整の取れたスタイルにそれなりに評価の高い容姿を持ち、着ている物やさりげない小物が
高価そうに見える(実際、それなり以上に高級品ではある)ものを身に着けていれば
妙齢の女性からは当然、視線を集めるし秋波も送られる。
そして男性からは、羨望と嫉妬のおまけも付くからだ。

今も熱心以上の熱い視線を注がれているのを痛いほど感じるのだが・・・。
――― どうにも、いつもと注がれている場所が・・・違うような。

最初は出来るだけ気にせず集中しようと思っていたのだが、どうにもこうあからさまに
視線を送り続けられると気になってくるのが人の本分だ。

チラリ

一息を付く仕草でさりげなく画面から手を上げると、ついでのように熱い視線を
感じる右手側に視線を巡らせて―――。

・・・・・時が止まってしまった。

(光の洪水・・・)

さりげなく巡らせるつもりが一瞬に吹き飛び、更によく見ようと顔を向けていることさえ
気づかずに、ロイは目の前に流れ落ちる光の粒子に目を奪われている。
そして何度か瞬きをする時間の間で、その光の粒子がその少女の髪なのだと気づいた。
――― そして、光点は彼女の瞳なのだと。





 エドワードは自分の網膜に焼き付ける気で、その憧れの機種を眺めていた。
勿論、画面の内容が判るような見方はしないように気をつけている。
が、てきぱきと動く指と同時に切り替わっているらしい画面からも、
やはりエドワードの聞き知っている製品に間違いないようだ。

時も忘れて見惚れている内に、思わず前屈みな姿勢になってまで覗いている事さえ
気づけないでいる。

――― あれ・・・、止まった?

先ほどまで目まぐるしく切り替わっていた画面が止まっているのに気づいたのは
暫くたってからで。怪訝に思ってひょいと顔を横に向け、――― 身体が硬直した。

横を向けた顔のほぼ真横に、不審そうに自分を見つめている相手と目が合う。

そこまでになってやっと、エドワードは自分がかなり怪しい人間になっている事に
思い至ったのだった。

「あ、あの! す・・・すみません!! 別に、画面の内容とかは見てなくて・・・。
 す、ごく珍しい機種だったんで・・・あのぉ」
しどろもどろになって謝るエドワードに、相手はじっと凝視したまま視線も表情1つも
変える様子もない。

「ほ、んとうに・・・すみませんでした!!」

慌ててぺこりと頭を下げて、取りあえずその場を離れなくてはと思った瞬間。

「おはよう~」
級友が掛けてくれた声に、ほっと安堵を浮かべる。
ちらりと座っている男性に目をやると、まだじっとエドワードを睨みつけている。
エドワードは気まずい心持で、すみませんでしたと再度小さな声で言って頭を下げると、
声を掛けてくれたラッセルを引っ張って、1つ後ろの扉の方へ足早に移動していった。



呆けていたロイが正気を取り戻したのは、その少女が去っていってからだ。

そして、歩き去る後姿越しに――― 見慣れたアンテナに気づいたのも
自分が降りる下車駅で扉を開いた瞬間だった。













『paradigm shift!』




 P4・・・奇縁・偶然・運命?


「そろそろ移動しませんか?」

画面を一心不乱で睨みつけていたロイに、暢気とも能天気とも取れる声がかかる。
そんなハボックの声が妙に癇に障って、ロイは無意識に舌打ちをして
乱暴な所作で画面の終了を始める。


そんな上司の様子を見ながら、ハボックは少し離れた場所まで避難してから
上司を尤も把握しているだろう人物に声を潜めて話しかけるのだった。

「何か・・・機嫌、悪そうっすけど?」
「いいのよ、気にしないで。どうせ通勤中に自分の思うとおりにいかなかった事でもあるのよ」
答えた秘書兼チーフは、肩を竦めて苦笑している。
「けど、珍しいことも有るもんですよね。
 普段は、ちょっとやそっとの事では態度に出るほど見せたりしないのに」
サブチーフのブレダが訝しむように口を挟んできては、首を傾げて顎を掻いている。
そのブレダの言葉に、チーフのホークアイはクスリと小さな微笑を口元に象り。
「ちょっとやそっとの事以上が有ったんじゃないかしら?」
と歌うように告げた。




ロイの機嫌と関係なく、事務所の面々は予約している1次会場へと出掛けていく。
夕食にはまだ早い時間で、昼食で済ませるには勿体無い!(ハボック談)と云うことで
ロイの驕りだと判っているからこそ、今日の1日を目一杯楽しむ計画を立てているらしい。
カラオケで昼食件軽いジャブを見せ合い。その後は腹ごなしにボーリング大会をこなし、
最後にはどこそこか忘れたが、結構有名な中華料理屋でやっと懇親会だそうだ。
その費用の全額がロイ持ちとなると、部下もはしゃぐに決まっている。
怖ろしいことにその後の予定も組まれているらしいが、それには付き合わず
金だけ渡して置こうと決めている。

一応、経費で落としてもらえないかとチーフに談判してみたが・・・。
――― 不要な経費は、仕事をこなしてから言って下さい。―――
と軽くあしらわれて終わった。

そんな経緯もあって、さらにロイの気分は乗らないままだ。

が・・・、本当に気が乗らない理由は、別の処にある。


――― 彼女が、あのアンテナの持ち主だったのか・・・―――

まだ幼さの片鱗が見てとれる容貌をしてはいたが、美しい・・・そう称して間違いない美少女だった。
後数年もしたら、ブラウン管の中で見ることになっても不思議ではないくらい。

流れるような動作で去っていく少女の後姿を、惚けたように見ていた自分は・・・。
――― 本当に馬鹿な男だったろう。

向こうから声を掛けていた少年は、・・・彼女のボーイフレンドなのだろうか。
見目もなかなかの少年だった気がする。
お似合いの。――― お似合いの微笑ましいカップル、なのだろうな・・・。


頭ではそれを認めていながら、どうしてこうも気分は塞ぎがちになるのか。

――― 馬鹿らしい・・・。

そう無理やり言い切って、ロイは遅れがちに皆の後を着いていった。




*****

「なんでわざわざカラオケ如きに、隣の町まで行くのかな・・・」

昼で終わりだからと仲間内でカラオケに行こうと云う事になったのは、まぁ渋々ながら
OKはしたが。いざ駅前の店に行くのかと思っていたら・・・。

「駅前のぉ~? あ~んな曲目の少ないとこに行きたくないね」
小馬鹿にしたように告げられて、エドワードは目をパチクリとさせた。
「エド。隣のとこに最新のカラオケ屋が有るんだ。
 今日はそこに行こう」
ラッセルが取成すように説明をしてくれたが、エドワードにしてみれば「何で?」と
疑問符を並べてみたくなる。
エンヴィーに肩を組まれ、渋々足を進め始めたエドワードの背後では
あんたもか、と思うような会話が楽しげに交わされている。

「ここの駅前のカラオケ屋はイマイチだな。
 今時、新曲が少ないだけならまだしもレパートリーも少なすぎる」
「そうだよな。音響とかも悪いし」
「ああ。操作も古い分、手間が掛かりすぎる」


一体、何の話をしているのだろうか?

カラオケには殆ど行ったことが無く、稀に幼馴染や弟に引っ張られて連れられる時も
殆どお任せ状態だったので、背後の会話もいまいち理解に悩む。

ぐいぐいと肩を掴む力を弛めないエンヴィーに、エドワードが文句の声を上げる。
「おい、痛いって! そんなに引っ張るなよ」
背丈が変わらない二人で引き寄せられると、顔をつき合わした状態で話さないといけなくなる。
エドワードは腕を突っ張って互いの距離を取ろうと図るが、自分以上の我侭ボーイは
意に介さず機嫌良さそうに返してくる。
「エド~。今日は偉く気合の入った格好してるよねぇ」
エンヴィーのその言葉に、何をほざいていると喚きながら肩に乗せられている手を
叩き落とす。
「馬~鹿。服装なんて俺が知るか! 
 ――― 母さんが、揃えたんだよ!」

この年になってまで母親が選んだものを着ているのを恥ずかしいと思ったのか、
エドワードはやけくそのようにそう言って先へと歩いていく。
「へぇ~。お前んとこのママって、センス良いのな」
にやにや笑が癪に障るが、それは無視しておくことにした。

エンヴィーは決して悪い奴ではないのだが、どうにも癪に障る口調をしてみせる。
ここに入った理由も、「馬鹿な女どもが居ないから」とのたまっているくらいだ。
一流大学出のコメディアンを目指しているとか何とか。良く判らない彼なりのポリシーを
貫いているエンヴィーは確かに結構頭も良ければ、容姿も悪くない・・・だろう。
本当はエドワードにはいまいち判らないセンスの持ち主だが。

ホームのウインドーに映る自分の姿にちらりと視線を流しながら、
そんなに妙だっただろうかと考えてみる。
エドワードは服装には全く無頓着で、この年になっても母親が買い揃えた物を着ている。
今日はフードの付いたジャケットを着ているが、一応自分でも気遣って白の面にしているのだ。
リバーシブルのタイプのこのジャケットは、裏がオレンジとなっていてさすがに派手すぎる。
フードは使わない時は大き目の襟に切り替えれるようになっていて、かなり使い勝手が良いから
普段着ていることも多い。袖口も2wayタイプの切り替えで、今は大き目に折り返して動きにくくないように
してあるのだ。そうすると裏側の色が縁取りにはなるが、それ位なら・・・と思っていたのだが。

――― 派手過ぎるかな・・・。

そんなことを考えながら、袖ぐりを伸ばそうかとも思ったのだが、それはそれで気にしているように
思われるのも嫌だし・・・。


そんな風に考えているエドワードが、他人の目から見たら非常に可愛らしく映ることは
思ってもいないのだろう。

華奢な体躯に大きめの明るい色の縁取りを見せ、大き目のボタンがポイントのジャケットは
洒落ていて可愛らしさも演出している。
囲まれているメンバーの二人がのっぽだった事も有って、可愛らしい少女とお取り巻きと
見ている人たちは多いだろう。
不思議なことに、同じ背丈のエンヴィーはどこをどう見ても、生意気そうな少年にしか見えないのだが。



*****

「手洗いに行って来る」

そう断わりを入れて席を立つ必要も感じられないくらい、半密室の中は異様な盛り上がりで満ちていた。
叫んでいるのか?と思う大音量で歌っているのはハボックで、切れ切れに聞こえる歌詞から
察すれば、ふられ男の嘆きのようだった。
それを聞いているものはあまり居らず、皆がめいめいに選曲に勤しんでいる。

ガチャリと扉を閉めると、思わずほっと息を吐く。
1曲目はマネージャーにと、歌え歌えとせっつかれたから無難な曲を歌えば、
皆も儀礼は済んだとばかりにマイクを取り合い始めた。
普段、冷静沈着なチーフまでもがマイクを持つと別人に替わる・・・。
ジャー○ーズ系のアイドルグループの歌を嬉々として歌っている彼女の横顔を見て、
ロイは思わず浅く座っていた腰を引いてしまったほどだ。



暫し扉に凭れてから、いつまでも立ち尽くしていても仕方ないと
案内の掛かっている方向へと足を向けようとして。

通り過ぎようとした隣の部屋で、見知ったモノが目を掠めた気がした。

進んで分、足を戻して覗き込んだ部屋には。

――― まさか・・・。

元気にアンテナを揺らして笑っている少女の姿が―――。


ロイは立ち止まったまま、その窓から見える姿に視線を外せないでいた。










『paradigm shift!』




 P5・・・奇縁・偶然・運命?

付き合いでは勿論何度も来たことはある。が、それ程面白かった記憶もなく、
皆が言うようにストレス解消が出来るとも思った事はなかった。
エドワード自身、殆ど歌わないのもその要因なのだろうが・・・。

先ほどまで噛み殺していた笑いは、今や涙さえ滲む位の大笑いに変わっている。
「くっ、苦しい~」
腹を抱えてソファーに転がるようにして笑っていたエドワードは、
隣のエンヴィーと顔を見合わせては笑い転げている。
今、マイクを持って歌っているのはスカーだ。
本人は真剣な表情で画面を睨みつけるようにして歌っているが、曲目は
アタックナンバーWANと云う随分古いアニメの歌だ。

「だって女の子だもん♪」
ご丁寧なセリフ付でのご披露に、他の3人はますます爆笑の渦を巻き上げるが
歌っている本人は至極真面目なのが、可笑しすぎる。
ヒーヒーと笑い泣きをしている面々は気にせず、スカーは歌い終わると満足そうに
マイクを次の歌い手に回してくれる。

「くっくくく~。な、なんでそんな歌知ってんだよ」
涙を拭き拭き尋ねてみれば。
「母親が歌っていたのを覚えたんだが。どこか違ってたか?」
と生真面目な表情で聞き返してくる。
彼が先ほどから歌っている歌は、エドワード達の年代では殆ど聞いたことも無い。
だから違っているか合っているのかは判らないが、取りあえず面白いとしか言いようがないのだ。
本人は周囲の様子に怪訝そうに首を傾げているばかり。

「じゃ~、俺様が最新のご機嫌チャートをいっちゃいますか!」
意気揚々とマイクを持って立ち上がったのはエンヴィーだ。
彼はさすが未来設計にコメディアンを選択しているだけあって、歌も上手ければ振りまで上手い。
しかも、彼の特技はもの真似だ。歌い方からマイクの持ち方に表情。ブレスの間さえも
クリソツに歌い上げ、しかもそこに笑いと突っ込み要素満点に歌うから、
感心するやら笑いを誘うやらで、楽しいことこのうえない。

1番まともなのはラッセルだろう。
選ぶ選曲も巷のヒットチャートで聞き知っている曲ばかりだ。
が、壊滅的に音痴の所為か、バックの曲が流れてなければ何の曲かを当てるのは
至難の業になるだろう。
本人は非常に気持ちよさ気に楽しそうだったので、特にコメントは挟まずに
込み上げる笑いをノリに変えて囃し立てる。

そんなメンバーで来た始めてのカラオケは、かなりの盛り上がりを見せていた。

「はぁ~喉乾いた。お替り、遅くないかぁ」
一息付いて空のグラスに不満そうにしてエンヴィーが扉の方に視線を流すと、
ぴたりと口を噤む。
黙って動きを止めたエンヴィーの視線を追うように、めいめいが顔を向けると・・・。


「・・・・・誰、あれ?」
「「「さぁ・・・?」」」

その場には思わず沈黙が落ちたのだった。



*****

「―― あのぉ、お客様?」

困惑気味にそう声を掛けられて、漸くロイは自分が取っている怪しい行動に思い当たる。
店の従業員直だろう。トレーにドリンクを乗せて、扉を塞いでいるロイに
迷惑そうな表情を見せている。

「あっ・・・。し、失礼」
慌てて扉から退き、そのまま何事とも無かったかのように当初の目的のWCへと足早に歩いていく。

胸の鼓動は意外な邂逅と、今しがたの自分の恥ずかしい行動の所為でやや速くなっている気がする。
目当ての場所へと入り、思わず鏡を覗き込んで見ればやはり顔には赤みが差している。
「何を・・・やっているんだ」
呆れ交じりの呟きを落としながら、自分の用を終わらせる。

――― 今時の、若い子と云うわけだ・・・。

必死に自分に謝っていた時の印象では、躾けのよい真面目な好印象を持っていたのに。
男の間に一人で混じって、しかも馴れ馴れしく顔を向け合い微笑みを交わしている。
肩まで組んでは寄り添って囁き合っている姿に、ロイは奇妙な落胆を覚えずにはいられなかった。

そして・・・。――― そんな少女の良く変わる表情に、自分が・・・目を奪われていたことが。
――― 酷く腹立たしく、馬鹿のようだ。

ロイはジャブジャブと顔を洗って頭に上がっている血を下げ、気持ちの切り替えを図る。
普段は簡単に切りかえれるし、感情がコントロールし難いような事もない。
なのに今日は・・・。今朝から目まぐるしく変わる感情に、思考が着いていかない有様なのは
どういう事なのだろう。

戻る時は極力その部屋を早足で通り、中を見ないようにして自分のメンバーが居る部屋に帰る。
中では相変わらずメンバーで盛り上がっているらしく、昼食のつもりかテーブル一杯に
料理も並べられている。酒は云うまでも無い。

――― そう云えば、酒は飲んでなかったようだな。

勿論、年齢制限に引っかかっている事も有るのだろうが、最近の若い者達は
平気で酒類を飲んで騒いでいる者も多い。
が先ほど見たトレーの上には、ソフトドリンクしか乗っていなかった。
動揺していてもチェックするべき点は素早く確認するのは習慣の賜物だろう。
料理を勧めてくるメンバーに適当に相槌を返しながらも、ロイの心に引っかかるのは
壁一つ向こうの集まりだ。
気もそぞろなロイの頭の中では、次はどういう理由で部屋を出るかを思い巡らせている自分に
気づきもせずに思考だけは先走りし続けるのだった。






『paradigm shift!』




 P6・・・奇縁・偶然・運命?part2


「エド。歌えよぉ~」
しつこくマイクをコントローラーを突きつけてくるエンヴィーに辟易しながら、
エドワードはむっつりと何も書き込まれていない画面を見る。
歌え歌えとせっつくが、その前に何を入れれば良いのかを言ってくれた方が
遥かに操作しやすい。

―― 好きな音楽と、歌える音楽は違うだろ?

そうは言ってみても、大丈夫、大丈夫の言葉しか返らないが、
何の根拠で大丈夫なのか・・・。次にはその根拠も聞いてみたものだ。

一通り歌い終わったのか、皆が選曲を探すでもなくエドワードに興味深々な
視線を送ってくる。

「やっ・・・・・、マジ、そのぉ――― 知ってる曲って少ないし、さ・・・」

「じゃ、知ってるの歌えば?」

と返されて、しまった歌える曲がないと言えば良かったと後悔する。
エド、知ってる曲ってなに?と気の良いラッセルがコントローラーを取り出して尋ねてくるから、
エドワードは諦め時かと小さな声で答える。

「――― 我をも救いし・・・なら」

答えた直後、酷く後悔した。

「「・・・はっ? ナニソレ???」」

目を丸くして見返す二人に、エドワードはどうやらこの選曲がかなり的外れなことを悟る。

「やっ、・・・だから無理だって言ってんだろ! 
 俺の知ってる曲っても、・・・母さんが口ずさんでた曲くらいで・・・・・・」

恥ずかしいやら腹立たしいやらで、エドワードはほら言ってみた事かと投げやりに返す。
そんな中、一人だけ理解していたらしいスカーが言葉を挟んでくる。
「アメージングだな」
そう呟くと、手馴れた様子で選曲を打ち込んでいく。
「えっ・・・・・・・・マジ?」
これに驚いたのはエドワードの方だ。アルやウィンリーなら通用する言い回しに
何故、彼が即座に判ったのだろうか。
困惑甚だしい中、画面は即座に切り替わって出だしの合図を送ってくる。
他の二人は、その段になって始めて聞き知った曲だと判り、意外と思って驚いているのも
隠さずにエドワードの方を眺めている。

ここまできたら度胸を決めなくては仕方ないだろう。
エドワードはすぅーと息を吸い込むと、特有のイントロを歌いだした。



*****

綺麗で・・・。切なく・・・。どこまでも優しい歌・・・。

ロイは染み渡るような少女の歌声を耳にして、表現しようのない思いに囚われる。

人は、多くの罪を重ねずには生きられない――いきものだ。
愚かな人生を歩んでいても、神は常に自分を救う手を差し伸べてくれている。


そんな賛美はロイの人生には有り得なかった。
が・・・。どうしてだろう・・・。
決して上手いわけでもない彼女が歌うこの歌が――― ロイの心を。魂を揺さぶるように
響いて聞こえるのは・・・。

ロイは誤魔化しのタバコを吹かしながら、思わず目頭が熱くなるのを誤魔化すように
目を瞑る。

スタッフが運んできた追加のドリンクを置く間の、とても短い間だったのに・・・。
その隙間から流れた彼女の歌声が――― ロイを癒すように包み込んでいく。

高すぎることも、低すぎる事も無い。
上手いと言うよりは、たどたどしいく一生懸命に歌う歌声は・・・今までこの曲を
聞いた中では――――― 最高の歌い手だった。


スタッフが仕事を追えて出てきたため、歌声は聞こえなくなってしまったが、
ロイはその場を動けないまま立ち尽くしていた。
吹かしのタバコを持っていたから、今度はスタッフからも奇異の目で見られることも
逃れられたのだが。
今のロイには、そんな事も気づいてはいないだろう。


――――― 何故、この歌を・・・彼女が歌うのだろう・・・。

ロイの画いた像とも違う彼女が、何故こんなにも切ない歌を歌い上げているのか。
独り善がりな葛藤を抱きながら、部屋に戻ることも忘れ。とうに灰になっている
タバコを片手にロイは凭れ立った場所を動けずにいる。










  ↓面白かったら、ポチッとな。
拍手



© Rakuten Group, Inc.